心、燃やして生きてますか?
夜、めっきり冷えてきました。
いかがお過ごしですか。
今日は情熱、のお話をしたいと思います。
久しぶりに身体から、声から、エネルギーに満ちている人にお会いしました。
楽しくてしょうがなくて、全身からパワーがみなぎっている人。
どこから湧き出てるのだろう?
話して話して、源泉を突き止めたい衝動に駆られました。
まだ全ては分かっていないけれど、なんとなく、他人のために自分が何かする、というところに心が動いている。それに生き甲斐とやり甲斐を感じて、ひたすらに心を動かしている。
一度きりのやりたいことをやる、という選択をしたいと思うけれど、それを突き詰めたところで答えは出ない。やりたいことだけ突きつめて趣味に生きていても、充実が得られないことや、分からないことってある。
そこで、欠けていないかチェックしたいこと。それは、やりたいことをやった末に、自分の存在が他人にどう影響するのか、どう役に立つのか。
好きなことと、他人のためになることの間。
考えるのは簡単なことのようで、難しい。
色々考えてはいたけれど、少し気をぬくと他人を忘れ去ってしまったり、自分を忘れ去ってしまったりする。
情熱は、人のために動いたときにしか出てこない。そんな誰でも頭では知ってることが、ネガティヴな状態だと分からなくなるから、行き詰まった時こそ冷静に、大切なことを忘れてやいないかということを確認したいなと思います。
心燃やして生きていますか?
自分に、必要な問いかけ。
おやすみなさい。
使い捨て、お手軽な人生。
こんにちは。今日は土曜日。
みなさん、どんな休日をお過ごしですか。
昨日、やっと住んでいた宇都宮の寮から退寮して、東京に移住しました。
正直、引っ越し作業をナメていました。
いかに引っ越しが大変か、
というか、いかにモノと向き合うことが大事か分かりました。
引っ越しに際して、本当に必要なものだけ持って行こうと決めたのはいいものの、そう考えると私の部屋にはいらないものしかなかったように思います。
洗ったり、分別して、捨てる。
業者を呼ばないと廃棄できないものもあったりして。
いらないものと向き合う一週間。
数年住んでいたというのもあるけれど、寮という小さな部屋にしてはちょっとモノが多かった。
なんでだろう…?
そう考えた時、私の行動パターンに気づいた。
ストレスがたまった時に全ての行動が過剰になる癖。たくさん買い物をし、たくさん食べ、死んだようにたくさん眠る。
兎にも角にも足りていないのが怖い。自分の体を満たしたい欲求に駆られる。
そんな欲求を満たすためだけに、私のところにやってきたモノたちは大概大切に扱われない。ストレスがなくなると、いらなくなるものだらけなのです。
それを一定のペースで、全て捨てる。
どう扱ったらいいか迷うものは見て見ぬ振り。
モノをすべて捨てると、急激に居心地が悪くなるので、周りにある程度どうでもいいモノを置いておく。
そんな部屋だったのかなと振り返りつつ、「そんな人生だったな」とも言い換えられる気がする。
物事を自分の心を満たすためにたぐりよせ、いらなくなったら捨てる。その不充足感を満たす努力もしなければ、何かを大切にし通す気概もない。でも、ないと寂しい。
モノ、コトを大切にすること。
そして、出てきた課題と、自分の至らなさ、恥ずかしさ、めんどくささと向き合うこと。
物事を愛おしむ姿勢を大切にできたらいいな。
そして、本当に不必要だったものには、「さようなら」と一言いう勇気も欲しい。
それが完全にできるのはいつか。
死ぬまでにできるのかなぁ。
まぁ、たまに腰が引けちゃう時もあるもんです。
掃除をする休日、なんてのもいいかもしれません。
良い休日をお過ごしくださいね。
↓写真も撮っていたりします。毎日投稿してます。是非。
https://www.instagram.com/blooooom0111
一緒に散歩をしよう
お久しぶりです。
ブログ再開です。
ずっと見て見ぬ振りしてたブログ。
人様に何かを伝えることに、意味があるのか?と放っておいてました。
でも、私の話したいこと、みなさんに話したいなって思って再開します。
今日は、人に寄り添うことについてお話したいなと思います。
私の大好きなエッセイスト、松浦弥太郎さんの本に「泣きたくなったあなたへ」というものがあります。もともとは、松浦さんの「くらしのきほん」というホームページにある、夜の時間にだけ読むことのできるコンテンツで、そのコンテンツをまとめた書籍です。
ひとりぼっちの夜に、泣きたくなった人へ送るエッセイ。励ましとか、気づきとかをあったかい口調で話してくれる、私にとって心を緩ませてくれる読みもの。
「歩きながら話そう」って誘い出してくれたり、「あなたの隣に座ってお話させてください」と寄り添ってくれたり、自然に、まるで一緒にいるように、語りかけてくれる。
この頃の夜は、めっぽうそれに助けられている。
実のところ、泣きたくなることが増えている(というか、すでに泣いている)。
つくづく、元気で居続けることは難しいと感じる。
上手くいかないあれやこれを手にとっては思い悩んで、私のやってることって、合ってるのかな、と考えてみたりして。
にらめっこをして、抱えきれなくなったら、見えないところに置いておく。
考えれば考えるほど、空をつかむような虚しい気持ちになる。
自分の解が必ずしも正解ではないと気づいてから、自分の意見と他人の意見のすり合わせ。
何が正解なんだろう。
みんな、こんな思いをしているんだろうか。
人はそういうものなのだろうか。
正解なんてない事実に翻弄されて、目の端に捉えながらうやむやにしてしまうことが世の中にいっぱいある。
うやむやにすることが正解の時と、不正解の時もある。人生は白黒つけられないもんだな。
どうしても受け入れられないとき、右往左往してる私の隣にいてくれる言葉、励ましてくれる言葉は、私にとって泣いてしまうくらい温かいものなのだ。
迷子をなだめるような、一緒に途中まで歩いてくれるような、そんな温かい言葉をプレゼントする人になりたいな、と思う。
私はいつも、人に励まされ、人に支えられている。
「大丈夫だよ。お前は正しい」
「成長して帰ってくるの楽しみにしてる」
「救われてる」
周りの人が言葉をかけてくれる。
何度ありがとうと言っても足りないような気持ちになるから、何度もありがとうって伝える。
言っても言い足りない思いがある。
この頃にとどまらず、今まで、信じてくれた人がいて、励ましてくれた人がいて、一緒に悩んでくれた人がいた。ありがとう、でしかない。
そんな人たちに恩返しをしたい、というのがよくかんがえていることではある。
私は何が出来るだろうか。
ぼんやり、夜の街を歩きながらかんがえている。
そうだなあ、隣に座って話すような、一緒に夜の散歩をするような、そんな感覚で人を励ますことができたら。
寄り添って、笑い話ができたら。
一緒に泣くことができたら。
それでいい、って思ってしまった。
それ以上は、いらないと思ってしまった。
これから、そんな言葉を紡ぎ出したい、伝えたいと思う。
でも、変なことも言い出すと思う。
そんな時は笑っていて。
これからも、あなたの心に寄り添えますように。読んでくれてありがとう。
いい夜を。
煌めくもの、心ときめくもの
海鮮丼と生牡蠣と生うに。
(生牡蠣と生うには食べることに熱中しすぎて、写真撮ってない笑)
ここ最近の幸せ感じたことはこれ。
今週の日曜に海に行ってきました。
私的に、お魚市場がすごく楽しかった!
とれたて牡蠣とかウニをその場で開けてもらえたのです。
新鮮で美味しそうなものを目の前にしたら
ほんとに心踊った。
ピカピカしてキラキラしていた。
たとえ、牡蠣が磯臭くて(笑)、素直に美味しい〜!って思えなくても(笑)、私の中で命を感じるものとか、煌めいているものに胸が踊る。
その経験さえも、美味しい。
キラキラしたものを食べたら、
キラキラできそう。
煌めいたものが身体の一部になっていく感覚。
久しぶりに、食べることがこんなに楽しいんだーって思った。
そして、
食べてておもったこと。
私はたぶん、
命を感じて煌めくものが好きなんだな!
食べ物だけじゃなくて、場所も、人間も、芸術も。
例えば海、山。田んぼとか空とか。
学校の近くにあるスターバックスの空間と、店員さんたちの温かさとか。
困難に立ち向かう人の姿。
心からワクワクしている人。
人の一体感。
心を揺れ動かす音色や声。
魂がこもった字とか、綺麗な色使いや、線。
緻密で、繊細で、洗練されているもの。
でも、与えるものはすごく力強い。
それに心が揺れ動く。
美しい場所、美しい人、美しいものは
私のパワー。
それに触れるだけで、元気になる。
勇気をもらう。幸せになれる。
このごろ思うことは、自分がそんな存在になりたいということ。
自分がそんなものをつくりだしたいということ。
幸せでいて、周りも幸せになれる。
そのためには
自分が美しいと思うものにアンテナを張って、たくさんの美しいを目にして、自分のものにしてゆくこと。
たくさん感動したい。
想像したら、ワクワクしてきた〜
最後にキラキラした天然ブリ1本800円
安いな〜
がっちゃんの幸福論
はじめまして。
大学生をしてるがっちゃんです。
私の夢は、自分と周りを幸せにすること。
私は幸せに生きているのだろうか?
ふ、と考えます。
人との関わり、自分との戦い、やらなければいけないアレコレ。
痛みを伴いながら、毎日泥んこ、傷だらけで走り続けている。
けれども、
自分のために頑張ってるはずなのに
なにも幸せを感じられないのです。
いい成績をとることが自分の幸せなの?
モノを手に入れることが幸せなの?
お金があることが幸せなの?
全部手に入れたいものが手に入っても
私はずっと幸せになんかなれなかった。
心が空っぽのまま、満たされない。
たとえば、友達と話すとか。
たとえば、コーヒー飲んでホッとするとか。
自分の中に幸せの種は眠ってるはず。
けれど、その種が自分の中にあることに気づかない。他人の幸せを羨んでみたり、他人と比べて苦しくなったり。
自分を否定して、種を腐らせたり。
ゴールはみんな違う。
他人と競うことにひとつも価値を感じないからこそ、私は私の幸せの種に水をあげる。
紛れもなく私が私でいることに価値がある。
幸せを探そう、そして育てよう。
どんな小さなことでも、私の幸せを見つけられますように。
花を咲かせることができますように。
がっちゃんの幸福論をきいてください。