がっちゃんの幸福論

大学生のがっちゃんが幸せって何だろうってぼんやり考えて、ぼんやり文章にするブログ

一緒に散歩をしよう



お久しぶりです。

ブログ再開です。


ずっと見て見ぬ振りしてたブログ。

人様に何かを伝えることに、意味があるのか?と放っておいてました。

でも、私の話したいこと、みなさんに話したいなって思って再開します。




今日は、人に寄り添うことについてお話したいなと思います。


私の大好きなエッセイスト、松浦弥太郎さんの本に「泣きたくなったあなたへ」というものがあります。もともとは、松浦さんの「くらしのきほん」というホームページにある、夜の時間にだけ読むことのできるコンテンツで、そのコンテンツをまとめた書籍です。



ひとりぼっちの夜に、泣きたくなった人へ送るエッセイ。励ましとか、気づきとかをあったかい口調で話してくれる、私にとって心を緩ませてくれる読みもの。



「歩きながら話そう」って誘い出してくれたり、「あなたの隣に座ってお話させてください」と寄り添ってくれたり、自然に、まるで一緒にいるように、語りかけてくれる。




この頃の夜は、めっぽうそれに助けられている。



実のところ、泣きたくなることが増えている(というか、すでに泣いている)。

つくづく、元気で居続けることは難しいと感じる。


上手くいかないあれやこれを手にとっては思い悩んで、私のやってることって、合ってるのかな、と考えてみたりして。


にらめっこをして、抱えきれなくなったら、見えないところに置いておく。


考えれば考えるほど、空をつかむような虚しい気持ちになる。

自分の解が必ずしも正解ではないと気づいてから、自分の意見と他人の意見のすり合わせ。

何が正解なんだろう。


みんな、こんな思いをしているんだろうか。

人はそういうものなのだろうか。

正解なんてない事実に翻弄されて、目の端に捉えながらうやむやにしてしまうことが世の中にいっぱいある。

うやむやにすることが正解の時と、不正解の時もある。人生は白黒つけられないもんだな。


どうしても受け入れられないとき、右往左往してる私の隣にいてくれる言葉、励ましてくれる言葉は、私にとって泣いてしまうくらい温かいものなのだ。


迷子をなだめるような、一緒に途中まで歩いてくれるような、そんな温かい言葉をプレゼントする人になりたいな、と思う。


私はいつも、人に励まされ、人に支えられている。


「大丈夫だよ。お前は正しい」

「成長して帰ってくるの楽しみにしてる」

「救われてる」



周りの人が言葉をかけてくれる。

何度ありがとうと言っても足りないような気持ちになるから、何度もありがとうって伝える。


言っても言い足りない思いがある。


この頃にとどまらず、今まで、信じてくれた人がいて、励ましてくれた人がいて、一緒に悩んでくれた人がいた。ありがとう、でしかない。




そんな人たちに恩返しをしたい、というのがよくかんがえていることではある。

私は何が出来るだろうか。


ぼんやり、夜の街を歩きながらかんがえている。


そうだなあ、隣に座って話すような、一緒に夜の散歩をするような、そんな感覚で人を励ますことができたら。


寄り添って、笑い話ができたら。

一緒に泣くことができたら。


それでいい、って思ってしまった。

それ以上は、いらないと思ってしまった。




これから、そんな言葉を紡ぎ出したい、伝えたいと思う。

でも、変なことも言い出すと思う。

そんな時は笑っていて。



これからも、あなたの心に寄り添えますように。読んでくれてありがとう。


いい夜を。