がっちゃんの幸福論

大学生のがっちゃんが幸せって何だろうってぼんやり考えて、ぼんやり文章にするブログ

生きててごめんなさい、のゆくすえ

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このごろ、人といるとごめんなさいって思う。非常に多い。なんでだろうって思って、書き出してみたら色々わかってきた。



それは、日々、


生きててごめんなさい


と、ずっと謝っていたこと。




思い当たることは過去にあります。みんなの前で言うのって初めてなんだけど、私の母親は精神病を繰り返していました。摂食障害うつ病、アルコール依存、統合失調症。今はだいぶ良くなったけれど。



私の小さい時、母は統合失調症になりました。もう色々併発しすぎて私、詳しい概要はよくわからないけれど、大荒れでした。



ずっと寝たきりで、起きたと思ったら怒って、無視されて。全部病気のせい。



病気を理解できない家族と母の関係も良くなくて、混沌とした雰囲気でした。



幼いわたしが思ったのは、

「わたしが悪い」



というのも、2歳ごろから急に私以外の人たち(家族)の様子が一変したから、多分私が悪いって思ってたんです。病気ということを知ったのも小学校になってから。




毎日母のベットの横でごめんなさいって謝ってました。




そのほかにも、いろんな要因があるとおもいます。本当に。



迷惑かけないようにするのも、申し訳なくなるのも、ごめんなさいとかすみませんが口癖なのも、わたしが自分を悪者だと思っていたから。




わたしは許されたかった。




なんでも言うことをきくから、なんでも私が与えるから、助けるから、癒すから。



お願いだから許して。




私は何ももらえなくていい。私は、人のためのものでいい。自分の存在なんていらない。



幸せになりたいのに、幸せになりたくない。愛されたいけど、愛されたくない。



そうなるべきじゃない。




不幸や苦しさの中にいる方が好きだった。

自分を責めるのが好きだった。責めることで悪い私を罰して心のバランスをとれるから。



そして、幸せになるのが怖い。

それは、罰だけど、甘えもある。自分に幸せを与えるのが嫌悪。自分が幸せになる努力はしたくない。そのほうが楽だから。




そして私は人が怖かった。


治ったと思ってたけど、根本的じゃなかった。

常に加害の意識があるから、常に人に責められるのが怖い。人が気にしないことでも、小さなことで怒られるのが怖かった。

だから自分の粗をみつけては取り繕う。






対人関係って小さい時から、うまくいかないなーとか思ってたけれど、自分は悪者だと思ってずっと謝ってたし、人の表情うかがってたから、そりゃうまくいかないよね。



自分はなんでもできる、自分は諦めないでやれる。

自信はついたはず。



でも、なぜか波が激しくて、人に翻弄されることが多かった。


対面にいる人によって自分の気持ちがすごく変わる、感情が大きく動く。



自分が存在してる罪悪感に悩まされてたんですね。



「ごめんなさい。もう、ゆるして。」

「謝るから、嫌いにならないで」「離れてかないで」


って叫んでました。




「あなたは悪くないよ」

「苦しかったね」

「もう、幸せに生きていいんだよ」


と、言ってくれる人が欲しかったんだ。




だから、私は私に幸せになっていいんだよって言うことにした。


今までお疲れさま。がんばったね。


そんなこんなで、幸せに一歩、ちかづきましたとさ。ちゃんちゃん。