がっちゃんの幸福論

大学生のがっちゃんが幸せって何だろうってぼんやり考えて、ぼんやり文章にするブログ

私のきほん1 素でいるということ

私のきほん1 素でいるということ

 

みなさん、自分の基本をもっていますか?

私は、実はひっそりと持っています。

それをもとに動いてきていたし、これからもそう動いていくとおもっています。

わたしの生き方です。大切なみなさんに知ってほしいなって思って書こうと思いました。

 

私が大切にしている価値観、それは

 

「素でいるということ」

 

です。

 

ほんっとうに、曲げられません。これが。

 

「素()」とはなんぞや?と思われるかもしれません。

 

生き方としては、「ありのまま」と同義です。

そして、より「リアル」であり、より「ナマモノ」な感じ。

これは、生まれながら持っていての不変なものでもあり、これから変化していく行動もすべて。

人間という、生き物の本来の輝き。子供の状態。

 

うん、そんな感じ。

伝わっていますかね?

 

私の今の感情、本来の私を大切にしたい。

そして、私は他人であっても、その時その瞬間に生きる生き物として、受け止め大切にしたい。

 

「リアル」な自分の本音、「リアル」な自分の感情。

それは、何も飾らない「素」である状態。

 

「素」は誰しもが美しいのだと思います。”弱く”もあるけれど、”強く”もあるから。

私は、わたしのままでありたいし、他の誰かにはなりたくありません。

 

意見の押し付けも、意見に流されることも、世の中多数に流されることもしたくない。

自分の心に従って、自分の道を歩いていきたい。

この世の中たった一人である「”わたし”の道」を、私はつくる。

 

「素」には、「素直」も含みます。

「素直」に他人の意見を聞き入れるということは、

自分の心が凝り固まってない状態だと思います。

「素直」に意見を言うのもそう。

 

凝り固まるとは、他人の目や、自分自身の存在への不安、自意識過剰状態。

 

素直な状態とは、生まれたての赤ちゃんのような状態。

生まれたての赤ちゃん・子どもは、感情のままに動き、見たものから学び、感じたものから考える。それに、他人の目とか、世論とかはあんまり考えていないと思います。

 

「好きなもの」には好き、という。

「好きな人」には好き、という。

「なんで?どうして?」と思ったものには、素直になんで?ときく。

 

「むかつく」「嫌い」「腹が立つ」は、そのまま伝えると相手を傷つけてしまうので()

「なんで嫌いなのか?」を考える。もし、伝えることが必要ならば、「相手を思った言い方」で伝える。

 

そんな、素直コミュニケーションをおこないたい。

包み隠さず、あなたを知りたい。私を知ってほしい。

理由は、明快で、「私は素の状態がラクで、それでいて美しいから」

 

嘘ついたり、本音じゃないコミュニケーションって疲れます。

その煩わしいコミュニケーションにも、理由があるので、それは否定したくないけれど。

 

 

余談をすると、「おしゃれ」とか、「生活」とかもそういう考えをもっています。

 

「着飾る」のは嫌です。

つけまつげをしたって、ネイルをしたって私は満足できませんでした。

ちょっと派手なアクセサリーだって、イマドキなコンサバ服だってそう。

分厚いファンデーションも煩わしい。

 

「それは、私ではない」

 

私が一番に、私らしくいないと、全然満足できません。

 

おしゃれでいうと、私は「本来の私の美しさを最大限に引き出すもの」ということを考えています。

 

「美しさ」の優劣ではなく、「私にしか持ちえないもの、わたしのありのまま」をより「輝かせるもの」がおしゃれであり、美しさだと思っています。

 

そしたら、似合う服を着るのがおしゃれだし、アクセサリーよりも姿勢をよくすることなんだろうし、新鮮で美味しい野菜を食べることもおしゃれです。(できてないこともたくさんあるけど笑)

 

生活でもそう。

 

「本来の私がどこでも輝けるためにととのえる」場所が家であり、そのための営みが生活です。

洗濯、掃除は、先人たちが言うように、「気づき」の宝庫です。そして、「どうしようもない悩み」から「現実」に引き戻してくれる手段。自分が自分らしくあるための基礎。

 

やっていて、身をもって感じています。

 

無意識に考えていて、やっていることです。

わたしの行動の根本は、本当に、本来の私を「見つけ出し」「輝かせる」ことです。

それは、自分を楽にしていくし、生きることを楽しくしていくことにもつながっているみたい。

 

みなさんの、行動の根本ってなんですか?

ぜひ、きかせてくださいね。